失われた視覚を取り戻す最先端技術
2025/07/22
「人が思い描くことは大抵実現できる」とはよく言われることだが、これは本当にSFの世界を彷彿とさせるようだ。
スペインの研究グループが、完全に眼が見えない女性に、メガネに内臓したカメラに映った映像を「脳インプラント」で脳へ直接に連結させ、文字を認識させることに成功したという。
これまで眼球移植によって視力を回復させた例はあったが、今回はカメラがとらえた映像を脳インプラントが脳の視覚野に直接刺激を与え、知覚可能な映像を作り出したというのだから驚きである。
ミゲル・エルナンデス大学のエドゥアルド・フェルナンデス博士らの研究グループは、世界に3600万人いると言われている目の見えない人たちに再び世界を見てもらうことを目標に研究を重ねている。
視力回復に関する初期の研究では、人工の目——つまり網膜の作成が試みられていた。
これは確かに効果があるが、ゴメスさんのような目の見えない人の大部分は、網膜と脳をつなぐ神経に問題を抱えているため、人工網膜では光を取り戻せないそうだ。
そこでダメになった視神経を迂回して、カメラの映像を直接脳に送信しようというのがこの研究である。
視覚インプラントについてはゴメスさんが初めての事例となったが、フェルナンデス博士は、今後数年のうちにさらに5名ほどに移植すると話していたそうだ。
記事は2020年のものなので、計画が順調に進んでいるとしたらすでに複数の人がこの経験を積んでいることとなる。
脳に直接信号を送り視力を回復させる試みは、かなり野心的な取り組みだが、ペースメーカーや人工内耳といった人体に作用する電子機器ならすでに開発されている。
人工内耳とは、外部マイクで拾った音をデジタル信号に変換し内耳のインプラントに送信する、いわば”義耳”である。
デジタル信号を受け取ったインプラントは、電極を通じて脳が音を解釈する神経に電流パルスを流す。
1961年に初めて実用化され、今では世界で50万人以上がこれを使いながら日常会話を交わしている。
そういう意味では、いずれ多くの人がこの技術の恩恵を受けることができる日は訪れるのであろう。
ゴメスさんは42歳の時に中毒性視神経症という病気で眼球と脳をつなぐ神経が損なわれ、完全に視力を失ってしまった。
16年間まったく目が見えなかったが、システムを介して知覚された映像を解釈するトレーニングを受けると、文字や物体のシルエットを認識できるようになったとのこと。
この半年の実験中に彼女は、白い厚紙に書かれた黒い線を指差し書かれている場所を指摘でき、天井の照明、紙に印刷された文字などの単純な形や人なども認識できたのである。
更には、脳で直接パックマンのようなゲームまでプレイしたというから本当に驚きである。
視覚を取り戻すために脳インプラントの研究の歴史は意外にも古いようだ。
1929年、ドイツの神経科医オトフリート・フェルスターは、手術の最中に脳の視覚野に電極を当てると患者が白い点を見ることに気づいた。
この事象は「眼内閃光」と呼ばれたが、その発見以来カメラを通じて世界を認識するシステムは夢想されてきた。
2000年代初頭になりついに視覚インプラントが人間の頭部に移植された。
しかし、実験を行ったウィリアム・ドーベル博士がインプラントに電源を入れると患者はてんかん発作を起こし、身悶えしながら崩れ落ちたという。
原因は電流の流しすぎだった。
他にも感染の問題なども起きて、ドーベル博士が2004年に亡くなるとこの実験は中止を余儀なくされたという。
カメラをケーブルで脳につなぐというが、それを実現させるためには人間の網膜が作り出す信号がどのようなものかを解明する必要があった。
そのためにフェルナンデス博士は死んだ直後の人の遺体から網膜を摘出し(網膜は死後7時間でダメになるという)、そこに電極をつなぐという実験を繰り返してきた。
また、網膜の電気的出力をソフトウェアが自動的に処理できるよう単純な入力信号に一致させる研究も行わなければならなかった。
さらには、インプラントは長さ1.5ミリの電極が96本伸びており、剣山のような電極を使う。
この針の一本一本は1~4個の神経細胞に電気を流すことができるが、ゴメスさんに眼内閃光が見えるように1ヶ月もの時間をかけて一本一本調整しなければならなかったという。
この電極はユタ・アレイと呼ばれているが、これがインプラントした状態で電極自体や脳がどれほど持つかどうかも不明だったために6か月で除去されたのである。
ちなみにゴメスさんに後遺症は出ていないそうだ。
今後の課題としては現在耐用年数が2~3年と言われているインプラントの耐用期間を延ばすことや、現在は配線によってインプラントに電力を供給しているものをワイヤレスにしなければならないなどが挙げられている。
フェルナンデス博士によると、免疫系が電極に攻撃を仕掛け、周囲の組織に傷ができるほか、体を動かしたときに電極がしなることも問題だという。
課題はまだまだ残されているらしいが、こうした技術は単に目が見えない人だけに活用されるものではないかも知れないという。
香港の研究グループは人間の目をしのぐ「人口眼球」をすでに開発しているそうで、もしかしたらよりクリアな視界を手に入れるために、あえて人口眼球にするという「サイボーグ化」する未来がやってくるかもしれないという。
こんな話を聞くと戦闘用のサイボーグを思い浮かべるのは自分だけではないだろう。
人間の貪欲さは際限がない。
いずれにしろ、脳が正常に機能している限り、視力を再び取り戻せる未来はいずれ確実にやってくるようだ。
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