おのでら鍼灸経絡治療院

体のこと、あれこれ

マインドフルネス

2023/08/03

マインドフルネスの語義としては「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされるという。

これは新しい考え方ではなく、東洋では仏教の瞑想に由来し、3000年の実績があるとのこと。

現在、マインドフルネスと呼ばれる潮流には仏教本来の、達成すべき特定の目標を持たず実践されるものと、医療行為としての、特定の達成すべき目標をもって行われるものと、大きく二つのものがあるそうだ。

医療行為としてのマインドフルネスは1979年にジョン・カバット・ジンにより、心理学の理論と組み合わせて臨床的に体系化された。

ここでは医療行為としてのマインドフルネスの概略を見ていこう。



西洋におけるマインドフルネスの流行は、1965年にアメリカで移民法が成立した以降、ドイツ生まれのスリランカ仏教僧やベトナム人の禅僧などによるマインドフルネスが仏教の中心であると説いたところからはじまったようだ。

医療としてのマインドフルネスは、禅を学んだアメリカ人の分子生物学者のジョン・カパット・ジンが1979年に仏教色を排除して、現代的にアレンジしたマインドフルネスストレス低減法(MBSR)を始めたことが端緒となった。

しかし、これ自体は当初さほど注目されず、行動療法の一環として普及していった。

2000年代に入ると、アメリカでは東洋の思想実践への興味が高まり、アメリカ社会にかけている「『今』への集中」が仏教の思想実践にみられると考えられ、マインドフルネス瞑想が注目されるようになった。



今日では多くの研究者が、マインドフルネス瞑想とは「気づき」や「ありのままの注意」を重視することであり、心理的・身体的健康や良好な人間関係、冷静な思想決定、仕事や学業への集中、全般的な生活の向上などに効果があるとして注目されるようになったという。

葬式では仏教式が定着しているが、ほぼ無宗教である日本では1990年代に行われたワークショップはあまり注目を集めなかった。

2016年にNHKでストレス対処技法として特集が組まれるなど、近年になってから注目され始めたようである。

恒例の逆輸入的なものによる広がりということのようだ。

ただし、流行に乗って、本来のマインドフルネスとはかけ離れた、怪しげなものも出回っているというので注意が必要である。



一方、臨床心理学や精神医学など専門分野では1970年代からすでに様々な疾患の治療に応用されてきているようで、うつ病の症状を和らげる、ストレスや心配を減らす、薬物依存への手当などが報告されている。

また、精神病患者に対する多くの治療効果も示され、心の健康の問題に関しての予防的な方策にもなっているという。

さらには学校、刑務所、病院、退役軍人センターなどでも広く応用され、健康的な老化、体重管理、運動能力の向上、特別なニーズを持つ子供への支援、周産期への介入などへも適用され、更なる広がりを見せている。



ちなみに、マインドフルネスは直訳をすると、「注意で満ちた」「注意でいっぱいの状態」である。

具体的に、「今」に注意を向けるとは、何をどう行うことであろうか。

現在では様々な疾患に向けた多くのプログラムが多くの人によって提唱され、構成されている。

なので、最初の提唱者、ジョン・カバット・ジンのMBSRを見てみよう。

彼は1979年に、ストレス関連障害、慢性疼痛、高血圧、頭痛などの治療するためにこのプログラムを作った。

レーズンエクササイズ、呼吸法、静座瞑想法、ボディスキャン、ヨーガ瞑想法、歩行瞑想法、日常瞑想訓練からなる。



<静座瞑想法のやり方>

1.座って、背筋を伸ばし、姿勢を整える

2.呼吸を整えながら、深呼吸を1〜2度行う

3.目を閉じ、ゆっくりと鼻呼吸を始める

4.呼吸に意識を向け、お腹がふくらんだり、へこんでいく動きを観察する

5.雑念が湧いた時は、素直にそれを感じて受け入れ、再び今この瞬間に意識を向け、瞑想を続ける

6.5分〜20分程度行ったら、ゆっくりと目を開き、少しずつ意識を戻していく



〈歩行瞑想法のやり方〉

1.一歩ごとに、自身の呼吸や足の裏の感覚、全身の動きなどをよく観察し、意識を向ける

2.歩くときは、「左足、右足、左足、右足…」と足の動きを感じて頭の中で言葉を言いながら確認する

3.歩きながら瞑想をできるようになれば、日常的に瞑想を継続しやすくなる



ちなみに、以前テレビで見た僧侶の方々は食事や茶碗を洗うなどという動作の中で、食材の色味、大きさ、触感、味、口の動き、指先の使い方、足の感覚、今自分が行っている、あらゆる動作中、常に今の自分に意識を寄せて動くことを一つの修行としてやられていた。

これらを見ると、「今体験しているすべてのことに注意を向ける」という表現は誇張や比喩ではなく、その文字のとおりそのままなのだと分かる。

静座瞑想法や、歩行瞑想法はその基本なのだろう。



本来であれば、現在巷で流行しているマインドフルネスの元である仏教の瞑想とはどのようなものであるかの説明から必要である。

しかし、仏教用語は難しく、その思想そのものの奥深さもわずかな時間では何とも理解しがたい。

ただ、自分の薄っぺらな理解の範囲内で言わせてもらうと、瞑想はあくまでも数々の修行がある中でのほんの一部分でしかなく、それぞれの修行がすべてが合わさって一体のものであり、瞑想だけを行うものではないようである。

また、無我の境地を探求する宗教的な修行に対し、マインドフルネスは呼吸など「今」の自分に注意を向けることをすすめるが、それは

「『呼吸に対する気づき』と共に『呼吸に対してマインドフルであろうと努力してるわたしという意識』も強化される。つまり注意の対象である客体と主体が同じく強化されるため、『わたし』が呼吸に対してマインドフルであろうと努力すればするほど、対象である呼吸との断絶は深まり、力づくのマインドフルネスにならざるを得ない」と、宗教者からの指摘もされている。

なかなか難しいが、無我を求めながら、意識しすぎることで自我が強化されてしまうということだろうか。

そういう意味で、瞑想とマインドフルは正反対なものとも言われる。



こういうことまで言われると混乱してしまうかもしれないが、少なくとも呼吸や、身体のどこかへ注意を向けるとある程度までは緊張がほどけやすい、脱力しやすいというのは確かである。

緊張がほどけることによって自律神経のバランスが整いやすくなるということも確かである。

パニック障害の方に丹田への意識を推奨したことがあるが、このちょっとしたことで発作をコントロールできるようになった方もいたので、有効であるのは間違いない。

なので、宗教上行われる瞑想と、マインドフルネスは別物という認識のもと、単にリラックス効果を生む技法と理解して体験してみてはどうだろうか

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