おのでら鍼灸経絡治療院

体のこと、あれこれ

「妻を帽子とまちがえた男」①

2017/11/08

以前にも本稿で、オリヴァー・サックス氏の著書「音楽嗜好症」を紹介しつつ、音楽嗜好症を取り上げた。
https://ameblo.jp/helpjiritusinkei/entry-12219390575.html
オリヴァー氏はイギリスの神経学の臨床医であり、映画「レナードの朝」の原著である「めざめ」を著した人である。
彼が日々診療する人々は非常に興味深く、脳の不思議さをいつも教えてくれる。
なので、彼の著書を簡単に紹介するだけではもったいない。
そこで今回は彼の著書「妻を帽子とまちがえた男」の中から、表題になった妻を帽子とまちがえた男の事例を紹介したいと思う。
明日は著書そのものの紹介をし、それ以外の事例についても取り上げてみたいと思う。
優れた音楽家のPは声楽家としてよく知られ、音楽学校の教師もしていた。
あるときから生徒が自分の前に来ても気づかないという奇妙なことが起こり始めた。
顔を見ても誰だかわからない。
生徒が話し始めると、その声を聞いて初めてそれが誰であるのかを認識するのである。
そうした出来事は次第に度重なるようになり、周囲には困惑と気まずさと不安が増大していく。
さらに奇妙なことに、Pは人がそこにいないのに誰かがそこにいるかのように振る舞い始める。
町中を歩いていて消火栓やパーキングメーターを見ると、まるで子供の頭をぽんと叩くような感じで叩いたり、家具のノブに向かって愛想良く話しかけたりする。
しかし、話しかけても応答がないので彼自身がびっくりしているようなのである。
もともと彼は一風変わったユーモアのセンスがあったので、最初の頃は笑って済まされていたし、彼自身も笑っていた。
そんな中でも依然として音楽的才能は素晴らしいままで、病気を訴えることもなく、極めて健康で過ごしてきたため、3年ほどもその状態が続いたのである。
周囲から
「目がおかしいのではないか」
と言われていた彼は、糖尿病になってはじめて眼科へ行ってみることにしたのである。
しかし、眼科では目の異常は認められず、オリヴァー氏のもとへ回されることとなった。
オリヴァー氏による問診や神経学的テストの最中は特に問題は感じられなかった。
ただし、Pはオリヴァー氏の方へ顔を向けているにも関わらず、彼の視線はオリヴァー氏と微妙に合っていない。
そこだけが奇妙な感じだった。
そしてやがて異常を発見する瞬間を迎える。
神経学的テストで足の裏を棒でこするテストがあるのだが、そのテストを終えて靴を履くよう促すも、Pは1分たってもなかなか靴を履かない。
その時に 交わされた会話が以下のやり取りである。
O:手伝いましょうか?
P:何をです?誰を手伝うのですか?
O:あなたが靴を履くのをですよ。
P:あっそうか、靴でしたね。靴ねえ、靴ねえ(と困った顔)。
O:あなたの靴ですよ。自分で履けるでしょう?
P:(下を見てはいるが靴を見ていない。やがて視線が足に定まり、)あれが私の足かな?そうでしょうか?
(自分の足を触りながら)これ、私の靴ですよね、違いますか?
O:違います。それは足です。靴はあっちです。
P:あっそう。あれは足だと思っていた。
そんな光景、信じられるだろうか?
オリヴァー氏も混乱した。
Pはふざけているのか?
頭がおかしいのか?
目が見えていないのか?
Pの視力に問題はないことを確認したオリヴァー氏は雑誌の写真を見せ何が見えるかを尋ねる。
Pは色彩や形には敏感で批判めいたことなども口にはするけれども、全体的に何が写っているのかは分からないようだ。
瑣末的なことは見えているけれども、全体として見ることができないのである。
オリヴァー氏は絶句してしまう。
やがてテストが終了したと思ったPは帽子を探し始め、隣にいた妻の頭を持ち上げてかぶろうとした。
彼は妻の頭を帽子だと思ったのである。
妻を帽子と間違えるような男がどうして学校の教師を続けることができるのだろうか。
後日再びPの家を訪ねたオリヴァー氏は様々なテストを重ねる。
この日、オリヴァー氏が待っている部屋にPが入ってくると、彼は握手をするために手を差し出しながら壁の掛け時計に向かって近づいていった。
オリヴァー氏が声をかけると向きを変え、オリヴァー氏の方へ近づいてきた。
どうやら時計をオリヴァー氏と思ったようだ。
オリヴァー氏はPに歌を歌ってもらった。
すると年老いてなお完璧な耳と声、鋭い音楽的知性の持ち主であることは明白であり、音楽学校が慈善で彼を雇っているのではないことは明らかだった。
Pは立方体とか、十二面体などの抽象的な形を認識することには何の問題もなかった。
トランプのジャック、クィーン、キング、ジョーカーなど決まりきった図案も認識できた。
特徴的な髪と口ひげを持ったアインシュタインなど、決まりきった特徴のある「何か」が写っていれば有名人の写真も見分けがついた。
しかし、一見、なんの特徴もない家族、同僚、生徒、友人、そして彼自身の写真となると見分けが付かないのである。
弟のポールだけは「角張った顎、大きな歯」があったので見分けがついた。
しかし、さらに問題なのは彼の見せた態度である。
対象物が近親者や親しい人間の写真であっても、自分との関わりをなんにも感じていないような態度で、まるで立方体など抽象的なものを判じるような態度なのである。
すべてが形式的・外面的で人間らしくなく、彼自身の顔にも表情が現れず、およそ感情の表出などもない。
その平然とした態度が、これまでの奇行があまり異常な行動とされなかった要因なのかもしれない。
オリヴァー氏はPにある花を渡し、それは何かを問う。
Pは
「約3cmありますね。ぐるぐると丸く巻いているもので、緑の線状のものが付いている」
と答える。
観察しているだけでは花であることも分からないようだ。
そこで、匂いを嗅がせてみると、彼は突然生き返ったように
「なんときれいな!早咲きのバラだ。なんと素晴らしい匂い!」
と感動を表した。
同様に手袋を渡してそれが何であるかを問うと、
「表面は切れ目なく一様につながっていて、全体がすっぽりと袋のようになっていますね。先が
五つに分かれていて、その一つ一つがまた小さな袋です。袋と言っていいかどうか自信はないけど」
と答える。
Pは形状をしっかりと捉え、それを正確に表現は出来るのに、それが何かはわからない。
しかし、声や匂いであれば正確に見極めることができるのである。
さらに興味深いのは、Pに家の近くの通りを想起させると、北側から進んできた時も南側から進んできた時も、常に右側にある建物しか想起できないのである。
つまり、彼には左側が見えておらず、それは記憶や想像力の中にも及んでいたのである。
また、Pはある文学作品の一節を諳んじられるほど記憶力が良く、物語の筋も説明できたが、視覚的な特徴や挿話、情景についての説明は全くできないのである。
しかし、視覚化の全てができないのではなく、前述のトランプのカードのように図式的なものは何の問題もない。
Pはチェス盤や駒の動きなどは思い浮かべることはでき、頭の中で対戦すると非常に強く、オリヴァー氏は勝てなかった。
つまり、重ねて言うが、知的な問題は全くなかったのである。
そんなPの病態の更なる特徴は、彼は自分が何を失っているのかを気づいていないところでもあった。
周囲からの指摘でどうやら自分はどこかおかしいらしいとは分かっているようだが、それについて深刻になることもなかった。
周囲の物品だけでなく、自分の体や、置かれている状況などあらゆる物事に対する認識に障害が生じることを「失認」という。
自分が以前病院で働いていた時には、自分の手足を自分の手足と認識できない「身体失認」の患者さんがいた。
また、体に麻痺があり、座っていることも困難であるにも関わらず、自分はどこも悪くないと言い張る「病態失認」の方もいた。
このように何かを認識する能力を失う「失認症」には様々なケースがあり、そしてそれを失った本人はそれを失ったことに気づけずにいるのである。
Pはどのような失認だったのだろうか。
人がただそこにいるだけでは人と認識できないけれども、声を聴けば誰だかわかる。
触っても花だとはわからないけれども匂いを嗅ぐとバラだとわかる。
人の顔を識別できない「相貌失認」というものもあるが、それは「その人が誰かは判別できないが、顔であることはわかる」のである。
自分が見ている世界の左側だけを認識できない「半側視空間失認」というものがあるが、それは生活全般に渡って半側を無視した行動が現れるので、その特徴的な異変に周囲は容易に気づくことができる。
このようにPの病態の一部を説明できる病変は他にもあるが、いずれも部分的にとどまり、彼の病態を正確に表す病変は無いようである。
彼は広い意味で視覚性失認症であるようだ。
人の高次脳機能の存在が認識されていない昔であればPのような振る舞いは認知症とみられていたか、とんでもないフザケ男と思われていたかもしれない。
現在では視覚的にそれが何かを判断する能力にあきらかに問題があり、疾患であると判定される。
しかし本人に病識もなく、彼独特の方法で日常生活に適合し、周囲も奇妙な振る舞いと思いつつもそれを受け入れて誰も困っていないのである。
夫婦の間ではそれを病気というよりも個性として捉えられていたようだ。
Pの中で世界はどのように見えているのか、なかなか想像しがたいが幸せな世界で暮らしていることだけは間違いないようである。
ちなみに、Pの病態を東洋医学的にはどのように分析するべきだろうか。
身体的な問題は何ら認められないので、五行的に「心火」に属する病変と見るべきだろうか。
ただ、臨床的には認知症を呈する人が胃経病変を現すこともあるようなので、
即座に「心火」と判断できるほどストレートではないのかも知れない。
いずれ東洋医学的に見ても興味深いケースであることは間違いない。

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